今更ですが、デジタルとは「離散量」、つまり“とびとびの値”しかない量を指し、アナログとは「連続量」、つまり“区切りなく続く値”を持つ量のことを指します。スマホやタブレットの動画は動いているように見えても、実は限りなく細かい静止画素の連続です。その細かさが人間の目には認識できないために、連続して動くように見えるのです。デジタル化された情報は、映像も音楽も文字も数字も、細かい単位で記録された「データ量」としてとらえられ、保存も加工も配信も、そして検索もたやすくできる・・ここにアナログとは異なる「デジタル」の特性があります。
「カセットテープ」の音楽と、CDやスマホで聞くデジタル音声化された音楽を比べてみましょう。カセットテープに録音された中の聞きたい曲を聞くためには、テープを早回ししてその曲の場所までテープをもっていかなければなりません(この話がわかるのは、現在の50歳以上の方でしょうか)。しかし、デジタル化された音声では、曲の頭出しはもちろんのこと、曲の途中の“何分何秒の箇所”から再生することも簡単です。情報が「デジタル量」として記録されることで検索がたやすくなる、それは音声データに限らず、文字でも数字でも映像でも同様です。
デジタルとして人間の行動がとらえられると、体温・血圧・心拍数といったデータも細かい時間単位で分析や配信ができます。現在、国が進めている「スマートシティ」「スーパーシティ」構想の中の、住民の健康管理や遠隔医療はその例です。日々刻々の人間行動は、スマホの位置情報ですべて記録されるだけでなく、インターネット上での検索や閲覧も「行動」としてデジタル的にとらえられ、記録され、分析される。デジタル化は、人間の行動というものがすべて記録、分析、蓄積、加工、配信されることによって次の2つの「制約」からの自由を得ました。
第1は「時間的制約」からの自由です。デジタル化された情報は、アーカイブ化されて半永久的に残ります。インターネット上に掲載された過去のネガティブ情報がいつまでたっても消えないために、「人間には忘れられる権利もある!」などといった主張がなされるのも、時間的制約がないことによります。
第2は「空間的制約」からの自由です。デジタル化されれば、紙と異なり大量のデータ保管が可能となって、保管庫のキャパシティといった空間の制約はなくなります。ホームページやSNS上に大量の画像や文字情報が残るのも、コンテンツマーケティングとして大量の情報がホームページ内に格納されるのも、情報がデジタル化されているからこそ可能になったことです。
デジタル化により、企業側は蓄積情報を分析し傾向をとらえることで、ユーザーに次のアクションを喚起させることが可能になります。アマゾンで本を買っていると、過去に検索・購買された本の傾向から類書がレコメンドされる、カーナビに従って走っていると、そこまでの平均時速や周囲の交通状況をもとに到着時刻を予測してくれる・・みんな、人間の行動が記録され、傾向分析されることで未来予測の精度が高まることによって可能になります。
他方でデジタル化は、ユーザー側にも変化をもたらします。ユーザーは自分自身の関心度によって、企業・部門・分野・業界を越えて自由に情報や商品を検索します。もはやユーザーの前には、提供者側の組織分担や「事情と都合」はなくなり、ユーザーにとって関係ないことには目もくれず、本当に求めるものを納得いくまで検索・探索していくことが可能になる、ここに全く新たな消費社会が出現します。